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幽  玄

​花伝堂主人の旅日記 2017年・2018年 

飲み友達の高名な染色家長尾先生が最後の個展をやると言う。
沖縄県立芸大教授になり25年も住んではや御年78歳である。
義理堅い私は家内を連れて、遅い夏休みということもあり
一週間ほど、いつも投宿するハイアットリージェンシーホテル
に連泊して3階にあるプールでのんびり、

隣にある桜坂市民大学で講義したり、

てんぷすでウチナー芝居を見たり、街をうろうろ散歩したりして

怠情な時間を過ごして楽しむことにした。

                 観光客が来ないてんぷら坂を登り

                 古い街並みを散歩すると

                 新発見のワクワクする構成体とでもいうのだろうか。

                 私はさほど建築に対する含蓄はないがおもしろい

                 世界だと思っている。

                 私は若い頃に仕事でよく沖縄タイムスの本社へ来ていた。
                 今は立派なビルになり知人も殆ど帰幽したりして残念だが
                 それだけこちらも齢を重ねたということか。

                 家内の社会勉強をかねて今回は対馬丸記念館や

                 嘉手納基地にも連れていく。
                 また普天間宮に参拝し境内の洞窟にも入れて頂き、

                 首里の桃原に出現した女神がここに籠り、

「我こそは熊野權現なり」と称したと言うが、

この神話についての解説は「天皇の伊勢、上皇の熊野」という

くらいにしておかないと
長くなるのでここで筆をおくことにする。

 

【2018年】沖 縄

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沖縄のネコはのび感がちがう。

古いビルが
新しいビルの奥にまるで
隠されたように
佇んでいる

いまだに広角レンズのついた
古いフィルムカメラを

使っている。
ライカМ5と現場監督だ。

てんぷら坂はその名の通り天ぷら屋が

立ち並んだ。昭和20年の終戦直後は

天ぷら油は米軍からの盗品で

モービル油だったとか

【2018年】インド

最近は仏教公伝について講義することが多い。

公伝から大化の改新を経て、律令体制の構築へと進む過程は、いつもカンペなしで90分一コマ講義している。昔は仏教伝来と称されてきたが、渡来系の人達が私的な信仰として既に伝来していたと考えられるため、今は公伝と言っている。

現在のネパール、ルンビニで生まれた仏教は、インド各地から西域(中央アジア)を経由して中国、朝鮮半島へと広がる。

中国へは1世紀頃、朝鮮の高句麗へは372年に伝わり、375年には寺院も建立されている。我国の盟友であった百済へは384年に高僧を招来し、392年には仏教信仰の布告を出したと記録に残る。

そして我国にはついに538年、欽明天皇の御代に百済の聖明王から仏教が公伝した訳である。(もちろん日本書紀によれば552年という説もある)
 

この正月はパリへ向かわず、デリーを訪れた。関空からエアーインディアの直行便が香港経由で飛んでいる。

インドは人口13億人の超大国、その首都デリーは人口2千万人という巨大都市である。ここに暮らす人々の熱気とパワー、密度とエネルギーに圧倒されつつも、

いかに「暮らすように旅する」ことができるか楽しみでもあった。

インド国立博物館に日参して、ガンダーラ美術を堪能し、喧騒と雑然、混沌とした街並みを散歩して、少し疲れたらカフェか、街角のチャイ屋でひと休み。

ホテルまで近ければサイクルリクシャーに乗り、遠ければオートリクシャーに乗る。ドライバーは僅かな隙間でも、とにかく常に我先に先頭を目指して走り続ける。

 

トヨタのいい車を手配して、ガンジス河の上流、ハルドワール(直訳するとシヴァ神の門)へ遠出して、沐浴もしてみた。北部インドの冬は寒く、きれいな水と引き換えに、

急流で冷たく、ここで沐浴するには、それ相当の覚悟がいる。しかしやろうと決めていたので、この旅の一つの目的はすんなりと達成できた。
 

デリーでの10日間などあっという間で、仏教公伝にかかった

500年を、12時間のフライトで帰国することにした。

BRICsブリックスと呼ばれ著しい経済発展を遂げているインドだが、その反面至る所に拝金主義の横行も散見する。空港の入国審査でさえファースト、ビジネスクラス客の優先レーンが設けられ、私達は並ぶことも待つこともなく、あっさりと入国することがで

きた。民間委託の手荷物検査ではなく、国の入国審査である。

しかしこの国の厳然たる、いや大衆がむしろ容認しているような、カースト制度の深刻さに比べれば、こんなことは大したことはないのであろう。
 

国営のエアーインディア直行便も、途中の香港着陸で寝ているベットから起こされてしまうのが苦痛だが、予定通り関空には翌日のお昼に到着した。

 

ヒンドゥー教徒はガンジス河で沐浴することで罪を洗い流し、功徳を増すと信じられているが、神官の私が神事などで禊(みそぎ)をするには、単に心身を清めることにあるのは言うまでもない。功徳を増すというインドは、やはりなんといっても、まさにこれこそが大陸なのであろう。


「 君により 言の繁きを故郷の 明日香の河に 禊しにゆく 」 万葉集 八代女王

釜山近代歴史館の三階は、我国併合時代の街の雰囲気をジオラマで再現している。はりぼてだが、これはこれで味というものである。朝九時から月曜休み、入場無料、日本語パンフ有、スタッフ親切、トイレきれい。

【2017年】釜山

飛行機から見る雲はいつ見ても素敵である。美しいのとはまた違う、そんなふうに感じている。雲にも百面相あり。表情が実に豊かである。雲ばかりを描く絵描きがいてもおかしくないのに、あまり聞かない。

韓国の釜山に思い付きで旅立つ。僕に言わせれば弾丸旅行、たったの2泊3日である。米国大統領アジア各国歴訪後の有事を、なんとなく予見したからである。
 
初めてLCCとやらでフライトした。アシアナの子会社で、アシアナ便との共同運航らしい。何より時間がいい。
 
ビジネスクラスなどの設定は初めからないのだが、少しでも広い席をとカウンターでリクエストしてみた。
 
一番前の席が広いですが、有料ですと。いくらと聞くと3000円ですと。たとえ1時間でも楽なのをとお願いして、家内と二人分、6000円かとカードを渡したら、二人で3000円だと言う。
 

世の中にこんなに安くて値打ちのある、国際線でひとり1500円は存在しないように思う。
 
釜山では旧友たちに会い、すごい金持ちの友達の同伴のお陰で、銀行での用事もVIP室で専属秘書がいるがごとく楽々済ませ、うまい食事をして、骨董屋を回り、同行した家内の為に、釜山近代歴史館や古書街を散策し、海雲台で海の見えるカフェでお茶をした。
 
免税店は皆が行く、西面のロッテに行かず、センタムシティの新世界百貨店に行った。まぁなにごとも、ズブの素人と、玄人とは違うものである。ご褒美にヴィトンで新作のマフラーなどを買ってもらった。
 
何年ぶりに会っても、みんな親切である。来るべき北朝鮮問題で有事に発展し、かけがえのないものを失う予感もしつつ、帰国の途についた。3日間とも天気予報とは裏腹に最高のあったか晴天だった。
 
関空でもやはり僕と家内の大小お揃いのリモアのトランクが、一番先に出てきた。へえぇドアサイドかぁ。

おまけに、満員なのに、有料席のリクエストは、ほぼほぼないので、ゆったり座れますと。預けたトランクも、プライオリティではないが、ドアサイドという事実上の優先札を貼っておきますとのこと。

【2017年】パリ

そういえば毎年パリに出掛けているように思う。
京の年末年始を楽しみ3日からエールフランスの直行便で当日の夕方には到着する。
カプセルのようなベッドで寝ていれば半日である。
機内で新ゴジラを見たが、ゴジラを攻撃する自衛官達が通信やりとりの最後に〇〇〇オクレと
言っているのには
感心した。話しが途中なのか完結したのか、はっきりさせるために
必ず最後に〇〇〇オクレ(送れ)と言うそうである。
意外にもうちの店には自衛官のお客も多い。もちろん昔風に言えば高級将校達である。

いつものパリ
いつもの朝
宿の窓から
サンジェルマン
界隈

美大生の頃に通った
アリアンスフランセーズ

(フランス語の語学学校)
35年前と何も変わって
いないが中は近代的になっていた。

よく利用するサンジェルマンのジャコブ通りにある小さな宿に二週間程滞在した。
エルメスのソルド(バーゲン)につきあったり、ヴィスコンティ通りの友人の骨董屋、ヴァンプの蚤の市、
美大生の頃から通ったカフェパレットでの朝食。

今回はモンパルナスから列車で1時間、ルマン(栄光のルマンという映画、フランス発音はルモン)
にも小旅行。気に入ったので2度も出掛けた。
宿の近くにあるドラクロア美術館は散歩道だ。古本屋の親父も顔見知りになった。
暮らすように旅するパリ。そういつものパリである。
パリで活躍する日本人シェフ達のミシュラン星付きレストランも

旅慣れない方は行かない方がよいエリアにも出掛た。

この少女の目にパリの街は
どう映っているのだろうか

はしごしたが
もちろんそれなりにおいしい。
しかし人間とは勝手なもので、

いちばん助かったというか好ましかったのは
サンジェルマンにもできた一風堂のラーメン屋だ。

サッポロ黒ラベルの生ビールも飲める。
フランス人スタッフのカタメンという響きもおもしろい。
イタリヤ人がやっている総菜屋では主人に気に入られたのか、

いつもオマケしてくれる。
どうやらあっちの方かともあやしんだが、

家内と一緒に行くこともありちがうようだ。
たぶんグラッツェ・チャオ!

とほんの少しでもイタリア語をしゃべる私が好きなのであろう。

メルシーオーヴァー!

とはちがうのである。

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