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幽  玄

花伝堂主人

旅 日 記

【遠くへ行きたい】

「旅は寛容を教える」
                                    ベンジャミン‐ディズレーリ

イギリスの政治家であった彼のこの言葉が私は好きである。

【2023年 4月】日本民藝館  
               美しき漆 柳先生の美意識

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【2023年 4月】
東京美術倶楽部
出張 新橋のホテル

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【2023年 3月】神田古書店街老舗喫茶店

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【2023年 2月】嵐山温泉

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【2023年 2月】祇園たん義 
                              数寄者と魚すき

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【2023年 1月】京都人は冬でも
     サカイの冷麺 冷をもって冷を制す

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【2023年 1月】
金沢美術倶楽部 
            三州会

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【2023年 1月】浜松うなぎ

【2023年 1月】浜松餃子

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【2023年 1月】
金沢祇󠄀萌さんの
鴨鍋 黄身おろし 
美味探訪

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【2023年 1月】柳先生を追慕す

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【2023年 1月】
泉鏡花も遊んでいた
主計町茶屋街

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【2023年 1月】昼飯に2万3万美食も
結構だが土地の人しか通わない町食堂
を愛する、もう一人の自分が
確かに存在する

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【2022年 12月】鮮味亦新 
​           田山方南先生を偲ぶ

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【2022年 12月】数寄者忘年会

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【2022年 11月】金沢おでん屋巡り

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【2022年 11月】鈴木大拙館

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【2022年 10月】洞爺湖ウインザーホテル

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【2022年 9月】出雲古代歴史博物館

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【2022年 7月】葛川明王院

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【2022年 8月】出雲大社日御碕花房
​          うに大盛丼

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【2022年 5月】比良山荘

【2022年 6月】グリーナブルヒルゼン

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【2022年 3月】座主先生御逝去

【2022年 4月】植田正治写真美術館

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2022年 2月】播磨灘

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【2022年 1月】旧日銀京都支店

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【2021年 12月】上海蟹

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【2021年 11月】松阪 和田金

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【2021年 10月】 京都人の日常

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別段に旅に出ずとも車で20分も走れば

名勝・嵐山である。
貸切船に乗り家内と二人でビールに
おでん、みたらし団子とくれば、これはこれで
ちょっとした旅でもあるのだ。

【2021年 10月】 飛騨高山

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久しぶりに山の空気を吸いたくなった。
車で4時間近くかけて幕府の天領地、
金森家四代の高山へ向かう。ミシュラン二ツ星
洲さきでの食事は庭をながめながら宗和流本膳崩しを貸切で楽しむ。

ミシュラン一ツ星となった新鋭の肴さんでは

究極の山菜すき焼き、ここも貸切だった。
田舎の平日の夜はどこもこんなものだろう。
お会計はおひとり26,000円也。
さすがにうまいはずだ。

今回は古川にも足を延ばし、
鯉にエサをやりながら

大人の散歩を楽しむ。
あちこち観光にあけくれず
暮らすように旅する、

そんな大人がふえれば
きっと日本は美しいままである。

番外編
飛騨高山の倉坪さん家のココちゃん

【2021年  9月】  出雲大社

なんだかコロナで遠出もできず
しんどい思いをしてきたが、
田舎でも七代前の偉い
ご先祖の

二百五十回忌をやるというので

家内も連れて一週間ほど滞在した。
昼は毎日出雲そばの食べ歩き、

日帰り温泉巡りも楽しんだ。
 

  新車のメルセデスも

               実にトルクがあり快走。
 

  私の人生にはどうしても

              旅は必要であるようだ。

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西谷墳墓群は弥生時代の終わり頃のもので
我国最大級の四隅突出形墳丘墓
いわゆる「よすみ」である。

なぜだか最近はネコも

連れて行く旅が増えたようだ。

【2021年 6月】 富山翡翠海岸

金沢で交換会があり温泉宿に連泊した後に足を延ばして富山の翡翠海岸に旅をする。 
海岸を散策していきなり見つけた小さいけれど美しい翡翠に現地の古老や先人達にえらく激賞されたのには驚いた。

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翡翠海岸を散策して腹がへったら近くのドライブインで

ビールにカレーライス、疲れたら海岸側の料理旅館で

昼寝をして夕食は名物のたら汁に地魚の刺身に

蔵元近くの地酒黒部峡だ。

あぁセラビこれが人生だ。

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【2021年 5月 】 鳥取

この広き敷島でコロナ罹患率が最も低く真面目な賢き因幡、鳥取。
ありがたいことに思い立ったら車で二時間半程である。
いつも投宿する江戸末期からの旅籠、観水庭こぜにやさんも前日ながら電話一本で泊まれた上にいつもの広い新館だった。
この鳥取民藝館は必ず立ち寄る散歩道である。

町を散歩すると昔ながらの手描き看板がおもしろい。

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鳥取の町中にもこんな立派なアンティークシヨップがあって車が何台も停められるので理想的である。

この日は古伊万里赤絵蓋物と揖斐の盆石を求めた。
私はこむかいの場合は必ず冷やかさないで何かしら買うことにしている。前の世代の尊敬する先輩方は皆がそうだったが、悲しいことに、今は老いも若きも実に酷いものである。 

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帰り道に鳥取自動車道を降りて佐用名物ホルモン焼きうどんを食べてみた。70年の歴史あるご当地グルメ、ふじスペシャル二人前の美味しさがこの画像でも伝わるはずであろう。

【2021年 3月 】 小田原

藤原仏を納めに小田原迄、小旅行と洒落こむ。
復刻版の幕の内駅弁を買い、久しぶりのひかり号である。
駅前には金太郎のモニュメントがあり、ここが足柄山かと。

帰りは小田原駅前にある古い商店街でおでん屋のはしご酒。
うまい地魚の刺身に名の知れた地酒をいちいち堪能する。
古代はこゆるぎと言い小由留木と書いたが、いつしか小田原になったのであろう。

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【2021年 2月 】 湖北

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萩原朔太郎の純情小曲集を時々フト思い出す。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。

せめて湖北に出掛けよう。
鵜川四十八体石仏群は車で行けるお気に入り。今は三十三体しかないが、十三体は坂本の慈眼堂にあるらしい。

琵琶湖の美しさは通わないとわからないものである。

【2020年 10月 】奄美大島

どうもコロナ騒動以降、精神的にモヤモヤした感じが取れないでいるようだ。
やはりここは海辺に暮らして波を見ながら読みかけの難解な本を読むのがいいようだ。
若き頃のマスコミ時代に沖縄タイムスも担当になり、

ついでに というか完全に趣味で島嶼部もよく出掛けたものである。
当時大阪支社長だった赤嶺さんの奥さんが転勤ついでに

お茶をぜひ習いたいと言うので私が毎週水曜日の昼間に仕事をさぼって稽古に通っていた

阪急百貨店の逸翁が建てた福寿荘で遠州流 の同門になったのだ。
そんなこともあって仲好くなり転勤を嫌がっていた奥さんの事も恩義に感じられたのか

本社に帰られて広告部長になられても沖縄出張では

平社員の私なんぞにも随分とご馳走になったものである。

お姉さんが那覇で大きな中華料理屋をしていたこともあるが、

いま思い出せば何人もいたコックはみな台湾人だったように思う。

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伝泊さんの古民家一棟貸しプライベートビーチ

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街の古い市場には必ず出掛けるのは、そこに住民の暮らしが感じとれるからだ。

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田中一村の終焉宅である。芸大を二ヶ月で退学し

五十歳で奄美大島に渡り

極貧のなか死んでまう

絵描きである。

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奄美大島在住の元さん、

私はひねくれものなのか

島唄は路傍の芸の

里国隆に心惹かれる。

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台風14号到来おかげで

二日間欠航になり

島料理を堪能した。

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奄美大島でもマグロが獲れるので

こんなご馳走も格安である。

うち猫のきなこも連れて行くことにした。

【2020年9月】鳥取

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まだまだコロナは油断できずにいて

長距離移動は自家用車に頼るばかりだ。

久し振りに遺跡巡りに出掛ける。

東浜にあるアルマーレで美食、

温泉旅館のこぜにやに連泊して

青谷上寺地遺跡や梶山古墳など

 

若き日を思い出し懐かしく感じた。

【2020年7月】金沢

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いつもは富山でやる交換会をコロナの影響で

より広い会場の金沢でやるということで二日間出掛けることにした。
夜はもちろん鮨志の助である。
GoToの恩恵でホテルも格安となり駐車場の広い

アパホテルのスイートルームに連泊した。
スイートルーム限定記念品のアパ社長ハンカチを頂戴した。

【2020年6月】出雲湯村温泉

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コロナ自粛疲れを癒しに

自家用車で温泉宿に出掛ける。

松江の皆美館はなんの不自由もなく

朝飯の鯛茶漬けは美味しいが、

 

私はやはり

ここ湯乃上館のような鄙びた温泉宿が好きである。

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【2020年正月】宮古島

沖縄本島から南西に約290km、太平洋と東シナ海の間にある大きな島である。

先島諸島でもここだけはまだ旅していなかったので正月休みに一週間程暮らして見ることにした。

万暦帝「温州府誌」には「密牙古」から漂着した者がありと記述されており宮古のことであろう。
 

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亜熱帯海洋性気候に属するだけあって、正月なのに25度である。

あったかくしてハブ   もいない島である。

リスケープというホテルのパンフレット

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ヘディンの「さまよえる湖」を持参した。これで2度目である。

うちの家内も読書、

室に戻ると僕のくつ下の編物である。

宮古島については、宮古そばの話や美しい海岸、

伊良部大橋や池間大橋、仲宗根豊見親、人頭税石、

ユネスコ無形文化遺産になった「パーントゥ」、

宮古上布や稲作の伝来など書きたいことは山ほどあるが、

ここでは筆を置くことにする。

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宮古島のお昼ご飯
カレーライスと宮古そば
この最強とも言える

組み合わせに果たして

異論のある方は

存在するで在ろうか?

【2019年 正月】 別府 湯布院 国東

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二人の母親も90歳だの具合がすぐれないだの、例年通りおちおちと半月も海外旅行というのは無理な話であろう。

急な知らせに即応できるように、せめて国内旅行、飛行機ですぐに入洛できる九州大分の温泉旅行に出かけた。

伊丹から小さなプロペラ機で50分である。伊丹から大分までたったの50分。なんともはや近いもんである。12時間、半日も乗り続けるのとはえらい違いである。

空港にはレンタカー屋が迎えに来ており、手続きを済ませて湯布院へ向かう。こちらでチョイスできないパック旅行の国産リッターカーだがよく走る。

おまけにセンターラインを少しでも割ると、警報警告が鳴るという、人を小ばかにした、実におせっかいな、安物の最新型である。

家内が初めてなので連れてきたが、雄大な由布岳、そして人気の温泉地、湯布院に一泊して、別府では二泊した。全日空ANAの旅作というパック旅行はなかなか

よくできたもので、飛行機はもちろん車から宿から飯から、なんでもランク別に選択肢があり、全部一番高いやつにしとけば、まず外れはないようだ。要は値段なのである。

湯布院でも二軒、別府でも二軒の骨董屋に立ち寄って買い物をしたが、それぞれ個性もあり、おもしろいものも買えた。そしてみな親切なのである。朝晩は宿でご馳走、お昼は地元のローカルフード、

なかでも別府冷麺は連日一二の名店を食べ歩き、うまいというより、おもしろいもんだなぁと感心が先に立つ。

帰る日には宇佐八幡宮、国東半島の富貴寺へ。富貴寺ではたまたま土地の檀家さんらが護摩焚きをしていて、どうぞどうぞ是非にと誘われたので参加することになった。

ここの和尚がそそっかしいのか、僕の頭の上に経典の分厚いのを落としてしまい、バラバラドサドサ。本来は経典で一人づつの背中をポンポンとたたいて回るのだが

頭上に有難いお経が降ってきたのだから、きっともっとご利益があるとの話である。終わってからも、ぜんざいを食べていけ、お米も当たる福引も引いて行けと、何度も何度も

誘われるのだが、僕は籤運が良く、飛び入り参加のよそ者が一等賞取ったら申し訳ないので、これで失礼します、ありがとうございます、さようならと、気持ちばかりとお守りなどを

買って、なんとか這う這うの体で逃げ帰るように大分空港に向かったのだった。本当に皆さん親切で嬉しい限りである。これぞ旅の醍醐味というものだろうか。

空港のすし屋で地魚を最後まで楽しんで、プロペラ機に乗り込んだ。やはり偏西風の影響か帰りは40分位だったか、飛んだらあっという間に着いた感じである。

迎えのMKタクシーの運転手が、予定より到着が早かったですね、早かったですねと、頻りに言っていたように思う。

【2018年 冬】 横浜 鎌倉 藤沢

東京美術倶楽部への出張である。なるべく東へは行きたくないものだが、ここへ行かないと一流の骨董品に出会えないのであるから仕方がない。

オークションへの単純往復なら日帰りもなんとか可能だが、都内には名だたる美術館、博物館が点在し、往復四万円近く汽車賃を使って、そのまま素通りはできない。

せっかくだから一泊して、諸先輩や旧友と夜遅くまで酒でも飲みながら語り合うのも、月に何度かの人間修行、楽しい自己研鑽のようなものであろう。

若い後輩の業者仲間達が、節約節約で泊まる金が惜しいのか、忙しすぎて暇や余裕がないのか、もともと美術芸術にそんなに興味がないのか、計り知れない所ではあるが

 

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悲しきかな、みな素通り人生のようだ。なんでだろう、もったいない。と僕も若い頃は思っていたものだが、いまはあきらめている。みなそれぞれ事情があるのだ。

おそらく若い人達はみなナルシストで、自分が最高最上なのである。他人に気を使うとか、頭を下げる、いまさら教えを乞うなど、とにかくめんどくさいのであろう。

 

9号車のいつもの座席で富士山を遥拝したころ、横浜の金沢文庫で、白洲正子先生が旧蔵していた十一面観音立像が展示されていることを、ふと思い出した。

あれは前田青邨画伯も旧蔵していたもので、そちらの方はあまり知られていない。祈りと救いの中世、顕われた神々。僕の頭の中が藤原時代に戻ってしまったようだ。

思い立ったら即行動。まったくの予定外。しかし臨機応変は米国海兵隊のモットーとも聞いているし、なにせ世界最強の軍隊組織なのだから、まぁ名誉なことである。

鎌倉へも立ち寄り、久しぶりに大仏様の洞内にも20円払って入れて頂き、頼朝公に思いを馳せ乍ら、美しい海岸べりを散歩してみた。もし僕が東京に暮らしていたら、きっと

ここに別邸を構えることだろう。いや貧乏してて掘立小屋に毛の生えたものしか買えなくても、ここにやってくるだろう、そんなつまらないことを考えていた。

別荘の山の家は軽井沢、別邸は海の家、ここ鎌倉だ。そのまま江ノ電に乗って終点の藤沢。そして老舗のこましな鰻屋で一杯やって、東京新橋に戻ったのだった。

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